このブログのメインテーマは、日常に起きた小さな奇跡体験と、ヤングリヴィング社のアロマオイルについてです。全体的に良い出来事しか書いていませんが、たまにはネガティブなことについても書いてみようと思います。
「フェリス女学院大学卒」というプロフィールを見て、みなさんはどんなイメージを抱くでしょうか?私の入学当時の世間一般のイメージはこうです。
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社長令嬢しか入れない(みんな大金持ち)
アルバイトはしたことがない(しなくてもいい)
挨拶は「ごきげんよう」
ジーンズを履いている子はいない
合コンしたい女子大として必ず名があがる
どこに行ってもモテて、ちゃほやされる
人気アナウンサーの出身大
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なので、恐らく、私に対するみなさんのイメージも「学生でも優雅な暮らしを送った苦労知らずのお嬢様」というところでしょう。
とんでもないです!社長令嬢ばかりではないです、私のように親が教師など中流(失礼!)出身の子もたくさんいましたし。
実は私、この大学、2浪して入りました。
都内のマンションではなく、二世帯住宅をリフォームしたお家の一室に下宿してました。
しかも!受験生活が長引いたせいで、入学したとたん、鬱になり引きこもりになってしまいました。半一人暮らしニート状態です。
私は第二次ベビーブームの世代で、とにかく幼少期から競争を強いられてきました。
大学受験時も、人気大学は倍率50なんてザラ。
だから、当時は浪人生もたくさんいましたね。1浪なんて当たり前。
そんなときだったので、現役で受からなくても。。という声もたくさんあり、その言葉に甘えて、高校時代は勉強せずに遊びまくっていたので、案の条、、、だったんです。
勉強が大嫌いだったので、「大学には行かない」と両親に告げていたものの、「社会へのパスポートだと思って、我慢して大学ぐらいは行きなさい」と教育者ならではの理屈で説教されましたね。当時は押しが強くなかった私は、嫌々ながらも「家を出る手段として」大学受験はすることにしたんです。
1浪目は地元の予備校に通い(センター試験導入も、確か同じ頃じゃなかったかな)、2浪目は都内の英語専門の予備校に通ってました。このときから実家を出て、西武新宿線沿線の駅近く(今はない保谷市)に下宿してました。そこには、富山、山梨、大分からも私のような女子浪人生が来ていました。でも、女性ならわかると思いますが、とっても嫌だったルールが「お風呂が一日おき」。
なので、「入れない日」は、隣駅の銭湯まで自転車に乗って行ってました。
他の子たちとの仲はというと、地方から上京してきてこの年こそは!という意気込みがあったようで、ベタベタした付き合いは一切なかったですね。予備校から帰ってきても、自室にこもってまた勉強…。携帯はまだなかったのでね。地元の友達とチャットで愚痴るなんてできなかった。
そういう経緯があり、大学入学が決まったとたん、目標がなくなってしまった私は、引きこもりになってしまったんですねえ。
次回は、どんな引きこもりだったのかについて、書きます。
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