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3月, 2019の投稿を表示しています

裸の女優たち~#MeTooに思うこと

                      このブログは、スピリチュアルがテーマです。でも、ときには耳の痛いことも書きたいと思います。(私自身、 幼い頃に性的嫌がらせ を受けたからでもあります。私と同じような経験をした女性はいるはず。でも、言えないんでしょう。) 2017年秋、イタリア人モデルの告発によって、ハリウッドの大物プロデューサーによるセクハラが暴露される事件がありました。 告発した女性以外にも、過去に被害にあった女優たちは「#metoo」でツイートするよう呼びかけられ、次々と彼の悪事が明らかになっていきました。 そして、年明けすぐに、セクハラ反対運動と被害女性を支援する団体 『TIME’S UP』 が女優たちにより立ち上げられました。 上記大物プロデューサーによって手がけられていた映画のなかには、私自身好きだった作品も多く、それだけでもショックだったのです。 それに加えて、 サルマ・ハエックの告白 もさらに衝撃的でした。 映画を撮る人にはもちろん、「表現の自由」があるので、映画を撮ったことない女性の私に意見する権利はないかもしれません。また、議論することも望んでませんが。 日本映画にも裸身をさらすシーンが多く、そういうシーンでは、女性の私は目をそらしたくなります。「女優達による裸身や、過激な濡れ場シーンは作品にとって必然性があるから」という記事を多く目にしますし、女優達も納得の上でそのようなシーンに「果敢に挑んだ」と、結ばれていることがほとんどです。それによって、その女優自身も「一皮むけ、演技力もアップした」とまで、よく書かれてます。 しかし、観る側には必然性は感じません。物語に集中できません。 何より、濡れ場を演じることと演技力アップは何の関連性も感じません。 例えば、私の大好きなシャーリー・マクレーン。彼女は、ハリウッド黄金時代から2000年代の今も活躍し続けている大女優ですが、過激な濡れ場など演じたことはありません。 ですが、演技力は素晴らしいです。 裸身の女優が観たい、濡れ場が観たいという男性側の本音を「必然性」という言葉にすり替えているだけなのでは?と女性側の私には思えてなりません。 演じる側は監督の言う通りをすべて受け入れなければならないのでしょうか? 女優自身も納得できなけれ

やめる勇気~フェリーニの『8 1/2』~

<2019年3月17日のFacebook投稿から>※いつものブログとはトーンが違います※ 引きこもりの今日は、フェリーニの 『8 1/2』 を鑑賞。(ハリウッドのミュージカル映画『NINE』はこのリメイク) これは、創作に行き詰った映画監督の自己開示の話だと思った。映画制作はもう進めることになっているのに、8カ月もアイディアが思い浮かばない主人公グイド(マルチェロ・マストロヤンニ)。思い悩んだグイドは、何人かのガールフレンドのところにいったり、来てもらったりしているんだけど、多分奥さんに相談できないからなんだと思った。 とはいえ、スランプでも撮影を進めなくては!と制作陣から叱咤され、無理やり撮影現場に連れていかれ、記者会見もその場でしなければならない羽目になる。 グイドはギリギリまで追い詰められるものの、本人は嘘は言いたくないので、映画作るの止めます!ってことにするんです。損をするのを覚悟したんですね。そしたら逆に、「力が湧いてきた」と。だから、最後はお祭りのシーンになる。 他の人はどう思ったんだろうと思って調べたら、「幻想と現実が交錯して」とか、「グイドは記者会見中に自殺した」とか、「わけがわからない」というコメントが多くてびっくりした。私は違うと思った。「人生はお祭りだ、さあ一緒に過ごそう」っていうセリフの一部を切り取って日本人向けのキャッチコピーにしてるから、この言葉に惑わされて理解不能になってるんじゃないかな。 クリエイターは、いつもアイディアにあふれてるわけではない。それでも、いったん”名監督”と呼ばれるようになってしまったら、アイディアがあるなしに関わらずスポンサーや配給会社からはハッパかけられてしまう。一つの作品に、大勢が関わり大きなお金が動くと、なおのこと「できません!」って言えなくなる。だから、表向きは無理をしてでも笑顔で。でも心では自分自身に嘘をつくことになるので、悩む。それに耐えられなくなった人が、ドラッグやアルコールに溺れていってしまうんだと。 でも、この映画の主人公は、そこに逃げ道を作らず(先延ばしにしたけど)、「できないものはできないんだ!自分の心に嘘はつけない」って腹をくくったってことなんだと思う。 「人生はお祭りだ」っていうのは、「人

私の暗黒時代~学生時代編②~

私の暗黒時代~学生時代編①~ で、大学入学引きこもりになった、と書きました。今日はその続きです。 (引きこもりでも、楽しいことはあったにはあったのですが、ネガティブな側面から自己開示したいので、あえてこのタイトルです) 引きこもりになった理由は、次の目標が持てなくなったことと、強い劣等感にさいなまれるようになったからです(学内での金銭感覚の差からくるものではないです)。 この劣等感は、高校時代からあったのですが、たまりにたまって爆発したのが、この時期になってからでした。10代になると、ほとんどの人が反抗期を迎え、それによって自己が確立していくのですが、私にはこの反抗期がありませんでした。 そのせいでもあると思います。 この劣等感と、反抗期がなかったことについては、さらにもっとさかのぼります。 私の両親は教育者でした。中学時代は、必ずテストの結果を親(特に母親)に見せるのが ならわしでした。 90点以上採れても褒められることはほとんどなく、80点代だと手が飛んできました。 (母自身、子供の頃、実母からそうされてきたようで、私に対して無意識のうちにこの行動に出ていました) 勉強の合間に好きなこと、例えばビーズアクセサリー作りにはまっていると、取り上げられ「そんな実益にならないことに夢中になるな。勉強の方が大事!」とこんな感じです。 反抗しようものなら、「親に養ってもらっている分際で、親に反抗するとは何事!養われているうちは、子供に人権なんてない。よそでは反抗期が認められても、我が家では認めない」両親ともにこの考え方でした。 高校受験の間も、唯一の心の支えは部活動(演劇部)で、これだけは母親の手が飛んでこようが絶対に続けていました。 まあ毎日のように、「あんたはいったいいつ部活をやめるの?そんなんじゃ勉強の時間が取れないでしょ」と言われつづけました。 高校受験間際まで、父親の怒鳴り込みもありました。寝ていると、部屋のドアが開き、仁王立ちの父の影がドーンと現れるわけです。 (高校教師だった父は、自分の娘の内申点がどれくらいで受験先の高校に提出されるのか、把握できたので、余計に心配だったようです。 私は学区外の学校を希望していたため、内申点がその分多くなくてはいけなかったのですが、父から受験後に聴いたところによると、とても足り

未だ癒えない性的トラウマ

                     何年か前にすでにFacebookで書いたことがあるのですが、今度はここに書いてみようと思います。これを読んだら、男性も女性も気分が悪くなり、私のことを嫌いになるかもしれません。あらかじめ断っておきます。だからと言って世のすべての男性を敵に回し、糾弾したり、論議を交わしたり、あるいはどこかの団体でその方面の運動にかかわることが目的ではありません。 私は、突然、大勢の男の子たちに取り囲まれ、気づくと着ていた服をすべて脱がされ、裸で校庭に引きずり回された経験があります。幼稚園生のときです。年少か年長のときかは覚えてません。あまりにも突然のことで、声も出せず、抵抗もできませんでした。 担任の先生が走り込んできて、「何をしているの。みんな教室に戻りなさい」と男の子たちに言うと、私に「早く服を着なさい」とだけ言い残し、去っていきました。自分の服をどうやって着なおして、その日どうやって残りの一日を過ごし、家に帰ったのかは全く記憶にありません。 この衝撃的な事件の後、その男の子たちを特に叱ることもなく、私をいたわるような声をかけてもらった記憶もないです。 ただただ、悲しくて、孤独で、誰も私の味方がいないのだと思いました。誰も私を助けてくれないんだと。そのあとにくやしさがこみあげてきて、「男の子なんか大嫌い」と強く思いました。言葉に変換して思ってはないけれど、「男の子は好きにならないし、結婚もしない」と気持ちの上で決めてしまったみたいです。 (この事件の前後にも、隣家の3人兄弟(10歳位年上だったと思う)に陰に連れ込まれてキスをさたり、年下の男の子に自宅に連れ込まれてまた服を脱がされかけたり。小学校に上がるか上がらないかの頃に、本当に嫌いになりました。) 親に話せたのは、30代後半すぎてからなので、わりと最近です。 「なぜ結婚したがらないのか」とくどくど言う母に、「結婚したくないというより、そもそも男性を好きになれない!」と答え、その理由としてこの事件のことを打ち明けたのでした。(だからと言って、同性愛者ではありません) あまりにも幼すぎて、やった本人たちももう覚えてないだろうし、その男の子たちも大人になって家族をもっている頃だろうと。だから一人一人たずねて、「謝れ」とは言えないだろう、とそんな話を母とし

私の暗黒時代~学生時代編①~

このブログのメインテーマは、日常に起きた小さな奇跡体験と、ヤングリヴィング社のアロマオイルについてです。全体的に良い出来事しか書いていませんが、たまにはネガティブなことについても書いてみようと思います。 「フェリス女学院大学卒」というプロフィールを見て、みなさんはどんなイメージを抱くでしょうか?私の入学当時の世間一般のイメージはこうです。 ___________________ 社長令嬢しか入れない(みんな大金持ち) アルバイトはしたことがない(しなくてもいい) 挨拶は「ごきげんよう」 ジーンズを履いている子はいない 合コンしたい女子大として必ず名があがる どこに行ってもモテて、ちゃほやされる 人気アナウンサーの出身大 ___________________ なので、恐らく、私に対するみなさんのイメージも「学生でも優雅な暮らしを送った苦労知らずのお嬢様」というところでしょう。 とんでもないです!社長令嬢ばかりではないです、私のように親が教師など中流(失礼!)出身の子もたくさんいましたし。 実は私、この大学、2浪して入りました。 都内のマンションではなく、二世帯住宅をリフォームしたお家の一室に下宿してました。 しかも!受験生活が長引いたせいで、入学したとたん、鬱になり引きこもりになってしまいました。半一人暮らしニート状態です。 私は第二次ベビーブームの世代で、とにかく幼少期から競争を強いられてきました。 大学受験時も、人気大学は倍率50なんてザラ。 だから、当時は浪人生もたくさんいましたね。1浪なんて当たり前。 そんなときだったので、現役で受からなくても。。という声もたくさんあり、その言葉に甘えて、高校時代は勉強せずに遊びまくっていたので、案の条、、、だったんです。 勉強が大嫌いだったので、「大学には行かない」と両親に告げていたものの、「社会へのパスポートだと思って、我慢して大学ぐらいは行きなさい」と教育者ならではの理屈で説教されましたね。当時は押しが強くなかった私は、嫌々ながらも「家を出る手段として」大学受験はすることにしたんです。 1浪目は地元の予備校に通い(センター試験導入も、確か同じ頃じゃなかったかな)、2浪目は都内の英語専門の予備校に通ってました。このときから実家を出て、西武新宿線沿線の駅近