「私は人からよく当たられる」と思っていました。
あるいは、「自分が何かこの人に失礼なことをしたのか」と自問していました。
いつもは丁寧な人が、あるときつっけんどんにリモコンを渡してきました。
「はい、やって」とこれだけです。
何をやるのか、何をしてほしいのか、この言葉ではわかりませんね。
ある状況になると、毎回この人はこういう態度をとってくるので、
「私に当たっているとしても、違うのかも」と思い始めました。
先日、彼女はポロっと言いました。
「設備の不具合で、いつもきちんと機材のセッティングができなくて不安」と。
ああ、当たっているように思えたのは、当たっていたのではなく、
この人は不安だったから、ああいう態度と口調になっていたのだな、
と気づきました。
昔いた職場でも、誰にでも当たり散らしているような女性がいました。
とはいえ、あるきっかけで話す機会があったので、
よくよく聞いてみると
その人は、「成長したくて仕方がない」でも「すぐには環境を変えられない」から
ジレンマでイライラしていたのだと気づきました。
人は、自分が不安になっていたり、成長したいという欲求が高まっているとき、
他人に対しては無意識のうちにつっけんどんな態度になったり、八つ当たりしているような口調になってしまうようです。
だから、「当たられた」と思えるときは、相手はそれだけ自分に心を開いて気持ちを見せてくれているんだ。自分はこの人にとって、心開ける相手なんだ、と思うようにしています。
誰にでもそういう気持ちを見せられるわけではないので。
まとめると、相手が不機嫌に見えても、自分に八つ当たりしているようでも、それは相手の事情であって、あなたのせいではないし、それによってあなた自身の気持ちまで下げる必要はないですよ、
というお話でした。
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