今年の1月に、フランス語の語学学校で開催された朗読会に参加しました。 「日本の歌謡曲やPOPSの詞の素晴らしさを、外国人の方に伝えられたらいいな」と思い、 日本語のオリジナルの歌詞と英訳版を朗読することにしました。 英訳を詠むにあたっては、やはりオリジナルのかたちを変えてしまうので、 事前に承諾を得るべく、 各楽曲の権利者や音楽出版社に朗読会概要と英訳を送るなど、やり取りをしました。 そのなかで気づいたのは、著作権についての考え方は権利者や出版社によって だいぶ違ってくるということ。 「ネットに掲載しなければOKです。広まるのは嬉しいのでどうぞご自由に」 「英訳を見せてください」 「英訳OKですが、直訳でお願いします。凝ったものはNG」 「日本語詞の良さからかけ離れてしまうので、やめてください」 ‥等。 詠み手にとっては、全曲承諾を得たいところでしょう。 でも、今振り返ってみると、全曲承諾を得るのがベストではないのだなぁ、と感じています。 相手のことを考えてないからです。 相手とは、ここでいうと権利者や音楽出版社になります。 アーティストが手がけた楽曲を守りたいから存在するわけです。 守る=歌への愛、です。 たとえ背景にビジネスがあったとしても、やっぱり歌への愛なんだ、と思います。 上に書いた、権利者と音楽出版社からの私への回答は、 それぞれの「歌への愛」のかたちなんですね。 「断られ」れば、詠み手の私側からすれば「残念」。 でも、相手からすれば、「歌を守った」。 「断る」側からすれば、それは「歌への愛」からきている。 自分が歌を守る立場だったら、「嫌」だと思えば「断り」ます。 「嫌」という気持ちも裏返せば「愛」からきている。 そう考えれば、断られたからといって落ち込む必要がどこにあるでしょう? これは何も、歌に限ったことではないですね。 例えば、「歌」を「商談」に置き換えても同じだと思います。