生まれてすぐ〜4歳ぐらいまで住んでいたアパート周辺には、UFOがよく出没していました。
それも、そのアパート住人のみんなが目撃していたといいます。
今でも、その頃見たUFOの映像がくっきりと頭の中に残っています。
それはさておき、私は幼少期からスピリチュアル的な考え方をする子供でした。
理系の父が「非科学的」と言う一方で、母は信じる人で。
(毎日仏壇の前で手をあわせ、お盆の時期には必ずお墓参りに行くのが
母方なら、父方の家族はほとんどしないという。)
まったく対照的な両親を見ているうちに、幼心にも母の考え方のほうが
「生きやすそう」だと感じたのだと思います。
「おじいちゃんが、こういう夢を見たって。最近のカヨちゃんは、こうじゃない?」
「おじいちゃんのお父さんが、カヨちゃんを守ってるって」
「いつも守ってくれるご先祖様に、手をあわせてお礼を言いなさい」
といった会話が多かったです。
母が通わせてくれた幼稚園も、ちょっと変わっていました。
園長先生が、教育方針にキリスト教の教えを一部取り入れていたんです。
まったくもってのミッション系ではなく、「一部取り入れている」というところに
母は魅力を感じたらしい。
「茨城のこんな田舎に、そんな幼稚園が?あら、いいじゃない!」と。
私が好きだったのは、朝礼と昼食、下校時に必ずみんなでするお祈りでした。
私はそれで、自分でも寝る前に「お祈り」をし始めたんですね。
何か欲しいときも神様に祈ってました。(その後、「妹」もお願いした)
ここで気づいたのが、お祈りのときの手の組み方が違うということ。
おじいちゃん、おばあちゃんは、手の平をそのままあわせるけれど、
幼稚園では手を組むかたち。
そして、どうやら世の中にはたくさんの神様がいるらしいこと。
おじいちゃん、おばあちゃんの神様は、日本人だけど
園長先生の神様は「イエス」様なんだな、と。
人にはいろんな神様がいるのなら、わたしにはわたしの神様がいるはず!と。
だからわたしが祈りを捧げていたのは、自分がつくりあげた自分だけの神様だったんです(笑)。
ここに、就寝前の母の読み聞かせが加わります。
それは、「日常生活にふと訪れた奇跡」を集めたお話(実話)の本でした。
(全英文だったので、母が英語で読んだ後、日本語に訳すというスタイルで)
だいぶ大人になってから母にたずねてみたところ、その本は
「一軒一軒まわって、キリスト教の布教活動をしていた高校生から買った」とのこと。
「あら、まだ高校生なのに、えらいじゃない!」と感心し、
「信者になるつもりはないけれど、日常の中の小さな奇跡を集めた本はない?」と
聞いて「後日、もってきてもらった」と。
このようにして、わたしはスピリチュアル好きな人間になったんです。
この頃に養われた考え方が、集団行動が苦手だった学生時代のわたしを
ずいぶんとささえてくれました。
もちろん、大人になってからも。
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