父のガン闘病についての続きになりますが、今回は祖母の話です。
父は、脊髄に転移していたガン切除の手術後、後遺症で歩けなくなりました。
というより、はじめから歩けなくなる前提で手術を受けたんです。
「ステージ4で余命3カ月」と言われながらも、生きるためにはまずガンの切除は必須だったからです。
そして前回書いた通り、加入していたガン保険が71歳の誕生日を迎えてから44日間しか保証されていなかったたこと、手術は成功しても「そう長くは生きられないだろう」という医者の判断により、
すぐに自宅療養を余儀なくされたのでした。
「ステージ4で余命3カ月」と言われながらも、生きるためにはまずガンの切除は必須だったからです。
そして前回書いた通り、加入していたガン保険が71歳の誕生日を迎えてから44日間しか保証されていなかったたこと、手術は成功しても「そう長くは生きられないだろう」という医者の判断により、
すぐに自宅療養を余儀なくされたのでした。
そういった状況だったので、叔父と叔母をはじめ母方の親戚たちは
「もう、剛男さん(父)は長くはないだろう」と話し合っていたのだとか。
ところが、そんな中、すでに認知症だった祖母はすっくと立ち上がり、自分の娘である私の母に電話をかけてこう言ったそうです。
「もう、剛男さん(父)は長くはないだろう」と話し合っていたのだとか。
ところが、そんな中、すでに認知症だった祖母はすっくと立ち上がり、自分の娘である私の母に電話をかけてこう言ったそうです。
「いいこと?今だけだから、大変なのは。しっかりしなさい。今だけの辛抱よ」と。
自分の娘とはいえ、何年も離れて暮らしており、認知症なのでもはや電話番号すらもわからなくなっていたはずなのに、どうしてそのときだけは間違わずにかけられたのかは、
自分の娘とはいえ、何年も離れて暮らしており、認知症なのでもはや電話番号すらもわからなくなっていたはずなのに、どうしてそのときだけは間違わずにかけられたのかは、
いまだに謎だそう。
そして、そのとき祖母が私の母に言った通り、
4年経った今となっては、医者も驚くほど父は回復し、人の手を借りれば一瞬だけでも立つことができるようになったのです。
「あのときおばあちゃんが、お母さんに言ったことは本当だったね。認知症でも宇宙の視点から見れば認知症ではなく、むしろ宇宙とつながっているんだね。さすが、お母さんのお母さんなんだね」
と私たち姉妹は顔を見合わせては、母に何度も言うのです。
本当に不思議です。今の祖母は孫である私たちの名前ですら、覚えていないのですから。
そして、そのとき祖母が私の母に言った通り、
4年経った今となっては、医者も驚くほど父は回復し、人の手を借りれば一瞬だけでも立つことができるようになったのです。
「あのときおばあちゃんが、お母さんに言ったことは本当だったね。認知症でも宇宙の視点から見れば認知症ではなく、むしろ宇宙とつながっているんだね。さすが、お母さんのお母さんなんだね」
と私たち姉妹は顔を見合わせては、母に何度も言うのです。
本当に不思議です。今の祖母は孫である私たちの名前ですら、覚えていないのですから。
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